こころの処方箋-I
心の置き所の続編として、臨床心理学者の河合隼雄 「こころの処方箋」から、いくつか抜粋。
不運を嘆く前に・・・100点以外はダメなときがある
平素から努力を続けているのに、大事なときになると不運に遭遇する人がいる一方、それほど努力していないのに好運をつかんでいる人もいる。不運を嘆く人ほど、常に人並み以上の80点の努力を続けている。しかし、肝心なとき、100点以外ダメなときに80点をとっていてはダメ。ここぞというときに100点をとっていれば、それ以外が60点でもいい。平均点は80点以下でも、その効果はまるで違う。
裏切られたと思う前に・・・一番生じやすいのは180度の変化
人間が変化する場に立ち続けていてまず思うことは、「一番生じやすいのは180度の変化」。例えば、アルコール依存症の人が、ある日からピタリと酒を止める。皆が感心していると、ある時にまた逆転してしまう。あるいは、非行少年が急に良い子になり、周囲の賞賛が絶頂に達した頃、180度の転換をして「やっぱりあの子は悪い子」との刻印が強まり、だまされたと、腹を立てる人さえ出てくる。また、決して自分の親のような生き方をしないと決心した場合も、20度とか30度ではなく、間逆の180度の方向を向いている場合が多いはず。人は変わろうとするとき、20度とか30度ではなく、間逆の180度の方が楽なのである。
180度の変化は、暗い影の部分と考えてもいい。影をあまりにも抑圧している場合、その影の犠牲になる例が多い。父親が道徳の塊みたいな人で、だれから見ても非の打ち所がない教育者であるのに、子供は手に負えない放浪息子。一見間逆のように見えるが、親の生きていない半面、影を真似たという意味で、子は親に似るもの。
このようなことが分かってくると、180度の変化が生じても、やたらに喜ぶこともなく、じっくりと構えていられるようになる。たとえ逆転現象を起こして元に戻っても、それほど腹が立つこともないし、悲観することもない。
強烈な抵抗に落胆する前に・・・心のなかの勝負は51対49のことが多い
私のところには、親や先生に無理やり連れてこられる生徒が多い。「お前なんかに話すもんか」と背を向けて座りながらも、もしかするとカウンセラーという人が自分の苦しみを分かってくれるかもしれないとも思っている。つまり、人の助けを借りるものかという気持ちと、助けてもらいたいという気持ちが両存している。ものごとを決める場合は、どちらかが前面に出てきて一方に決する。人の助けを借りるものかという気持ちが少し前に出ると、「お前なんかに話すもんか」と背を向けて座る態度になって現れたように。
何か決定したとき、意識の表面では、2対0のように大差で決めているように見えても、無意識のうちでは 51対49のようなわずかな差で、実際はきわどいところで揺れ動いていることが多い。意識的には片方が非常に強く主張されるが、心のなかの無意識のうちではそれほど一方的ではない。
51対49がもっと接近してきて50対50に近づくと、心の葛藤を打ち消すように大声を出す人が多い。例にあげた高校生も、よほど強い姿勢で「お前なんかに話すもんか」ということを示さないと、「助けてもらいたい」という気持ちが前面に出てきそうになったのだろう。相手の大きい声につられて、こちらも大きい声を出してしまうと、せっかく傾きかけた流れが逆流してしまう場合がある。