易経I-時中

リーダーにとって重要な能力「洞察力」と「先見性」。それを得るため、戦前までのリーダーにとって必読書であった「易経」が、今回のテーマ。荘子荀子をして、「易経を学び、変化の原理原則を知れば、占わなくとも先々を察することができるようになる」といわしめた易経安岡正篤 先生をして、「易を学ばなければ、自分自身がどうなっていたか分からないことを折に触れて感ずることがある」といわしめた易経孔子をして晩年に没頭せしめた易経
東洋の古典の中で最も古い書物、東洋思想の原点ともいわれ、古くから帝王学としても活用された易経。数ある中国古典の中でも、唯一、学術的解釈や読み方が定まっていないため、古典愛好家でも「易経はさっぱり解らない」といわれる易経。理解には経験知がものをいうため、多くの方々が途中で投げ出す易経
今回は、いくつかの入門書を基に、これまで学び・体験したものの集大成で、ちょっとした大作。時間のある今しかできない「30代の知の記録」をご覧下され。

易経とは

「易=変化」+五経の「経」。英語では book of changes。絶えず変化するものが「時」なので、易経は「時の変化の原理原則」を説くことで、「時」を見極める洞察力と「兆し」を察する直観力を養うことを目的とした書物。ただ、洞察力と直観力を磨くのは容易ではないので、それをあえて「易しい」ものにしようと研究されてきたのが易経

参考: 後半生に東洋思想の研究を進め、中でも『易経』を最も重視した心理学者ユングいわく、「”全体として事象を捉えようとすること”・・・西洋人は分類し、因果関係を見出し、論理的に整合性をもった知識体系を作りあげる「自我」が得意であったのに対し、中国人はどのようなことも、無意味とさえ見える些細なことも逃さず、全体として事象を捉えようとした。偶然を偶然として棄て去るのではなく、意味のあるものとして受け入れる態度。全てのものを取捨選択することなく、全体として受け入れる態度。自我だけでは簡単に把握しがたいことも、心の全体の中心として自我の上に意識・無意識も含めた「自己」をおくと容易になる。易学は、自我の働きよりも自己の働きを捉えるために発達したものと考えられる。」

根拠 「易の三義」

洞察・直観できるようになるという論理が、「易の三義」の三段論法。万物は変化する-> でも一定の法則がある-> その法則を知れば(洞察力がつけば)、兆しを察する直観力が身につくはず。
易経では混沌とした時の変化にも、自然の摂理に則った法則性があるとの立場なので、変化の激しい時代だからこそ、時の変化の道理を学ぶ必要があると説く。つまり、大局観に基づいた「あらゆる事象に通ずる栄枯盛衰の変化の道理」を諭してくれる書物。

  • 変易: 森羅万象、万物は変化する
  • 不易: 変化には必ず一定不変の法則あり (e.g. 春->夏->秋->冬)
  • 易簡 (簡易): 一定不変の法則を理解すれば、先々を察知できるようになる

易経が説く時とは

行動に影響を及ぼす大きな要素は、自分、相手、全体。「時」もその3つで分けると、自分の地位や立場、相手の環境や状況、大勢や時の流れなどのタイミング。つまり、時 = when (時) + where (処) + what/capability (位) 。または、3つの「キ」気・機・期で表現すると、時=気運+機会+時期。

  • 時 (when -全体): タイミング、兆し、「気運」
  • 処 (where -相手): 外部環境、状況、場、「機会」
  • 位 (what -自分): 地位、位置、立場、「時期」

時に中る(あたる)「時中」とは

自分、相手、全体を知り大局的にとらえること、「その時+その場+その立場」で適切な判断と行動をとること、またはそれぞれ変化する3要素を3次元でとらえ、卓越した動体視力で立体の中心を射抜くこと。逆にいうと、釣り名人のように3つの「キ」気・機・期が重なりあうまで、はやる気持ちを抑え、じっーとその瞬間を待つこと。

個人に当てはめると、自分の能力「位」+社内の状況「処」+変革へ機運が高まったタイミングでの提言「時」。経営者の視点からは、自社の強靭な財務基盤「位」+魅力的なM&A候補「処」+ライバル企業同士で獲得競争という名のつぶしあいをしている間に、絶妙なタイミングで登場し世論をも味方につける提案であっという間に勝敗を決した「時」。

とりわけ難しいのが、「兆し」を察する直観力が必要な「気運」。そのため、「時中(命中率) =時期 x機会 x 気運^2」ではないかと。期が熟したある「時期」に備わった自分・会社の能力や、外部要因の変化「機会」を味方につけるだけでなく、「気運」という天の勢いをも味方につけ、上げ潮のような大きな波にのれるかどうか。

その際の留意点が、「時中」と「時流」は正反対であること。時流を追いかけていくと、時の中心に身を置いている錯覚とともに、流れに巻き込まれ、ものごとの本質を次第に見失う。だからこそ、大局観という羅針盤が重要。