こころの処方箋-II

結果が出ない場合・・・ものごとは努力によって解決しない

努力が報われなかった場合、努力不足と自分を責めがち。「努力すればものごとは解決する」という観念に縛られ、不必要に自分を苦しめていないか。何も努力せず、ただそこにいることが恐ろしいばかりに、努力の中に逃げ込んでいるだけではないのか。あるいは、結果を求めるあまり解決の方に早く目が行きすぎて、努力に身が入っていないのではないか。それなら、逆に「ものごとは努力によって解決しない」と思ってみてはどうか。
努力を放棄せよと言っているのではない。われわれ凡人は、努力を放棄して平静でなど居られないのだから。「ものごとは努力によって解決しない」場合があるということを頭の片隅に置き、「私には努力ぐらいしかすることがないので、やらせて頂いている」と思ってみてはどうか

問題解決を焦る前に・・・灯を消す方がよく見えることがある

沖合に船で釣りに出かけ夢中になっているうちに、辺りは暗くなり、潮の流れも変わってどこだか全く分からない。月の明かりさえない。必死になって灯をかかげ、何か目印を探そうとするも見当もつかない。そんな時、ある人が「灯を消せ」と叫んだので、灯を消すと辺りは真っ暗。しかし、徐々に目が慣れてくると、暗闇と思っていた遠方に町の明かりがうっすら浮かび上がる。進むべき方向が分かり、無事に帰ってこれたという話。
不安にかられ、灯をともしてあちこちをうろうろする人に対し、灯を消してしばらくの間、闇に耐えてもらうのが心理療法家の役割。目先を照らす灯を敢えて消し、闇の中で目を凝らして遠い目標を見出そうとする勇気は、誰にとっても人生のどこかで必要なことだろう。

説教する前に・・・説教の効果はその長さに比例する

説教というのはもともとあまり効果がなく、説教している本人が自己陶酔するので長びきがち。平素の自分を棚に上げて良いことを話していると、自分が素晴らしい人間であるかのような錯覚に陥るので、なかなか止められない。その上、自分の言っていることが相手の心に届いていないことにうすうす気づくので、同じことを繰り返し長くなる。効果的な説教をしたいなら、短く、言いたいことにフォーカスし、同じことを言わないこと。
説教がなくならないのは、説教をする人の精神衛生上、大いに役立つから。学校の先生や中間管理職はストレスが溜まりやすい。そのはけ口として生徒や部下に説教するというのが実状ではないか。だから、部下も「精神衛生のために協力してあげているんだ」と思ってみてはどうか。