経営の本質II

リーダーシップの主要素

1) 誠実さ

  • 韓非子いわく、「巧詐は拙誠に如かず」。巧みな言葉で偽って人を欺こうとするよりも、下手でも誠意を示すほうが、ずっと相手に響く。
  • ノーベル文学賞を受賞した パール・バックいわく、「誠実な人格というものは、その人の存在や精神の全てから紡ぎ出されるものであり、それが行動や思想に表れて、心の底から信頼できる人間をつくり上げる。こうした誠実さこそリーダーの条件である。」 
  • 人間の弱さ、もろさ、それを跳ね返すしぶとさを戦後のシベリア抑留を通して体験した瀬島龍三氏いわく、「朝起きると隣のベッドの友人が冷たくなっていた。階級も学歴も貧富の差も育ちも関係ない。腹ペコ、極寒の中での重労働、それがいつ帰国できるか分からないまま11年以上も続いた極限の状態。そんな中、平然と仲間をソ連に売り渡す者もいれば、友人が病気になると、自分のパンの1/3を切って“おい、はやく良くなれよ”と言って渡す人いる。並べてあるパンの中から少しでも大きなものを順番に関わらず持っていく人もいる。」
  • ユダヤ人であったためアウシュビッツ収容所に送り込まれた精神分析学者フロイトの弟子、フランクいわく、「本能的・無意識的に同胞を売り、同胞の死を見ながら平気でパンを食べる人もいれば、ごく自然に自分のかけがえのない命を捨てて、同胞を助けようとする人もいる。その違いは何か。本能を支配する無意識の世界の底に、さらに深い無意識の層があって、そこからの呼びかけに答えた者が、大勢の人々の幸せのために、やすやすと最も大事な命さえも平然と捨てることができる。」

So what
人を動かす最高のモチベーターがリーダーシップ。その根幹が誠実さ。シベリア抑留の体験談からも分かるように、人間の真値は艱難辛苦の際に表面化する。そのため、幹となる倫理的価値観の確立が必須で、私の場合は、新渡戸稲造さんが書いた「武士道」や中国古典から得た「信・義・仁」と「素直な心」。経営者の実像を描写した言葉「鬼手仏心」、仏の心があるからこそ、鬼の手が使える。

  • 信: 約束を破らない- ある行動に出ることで相手の信頼を裏切らないか
  • 義: 正しいことを行う- 会社のために行った不正が最終的に倒産へ
  • 仁: 相手の立場に立って物事を考える
  • 素直な心: 何事にもとらわれない子供のような純粋な心で判断

しかし、高い倫理観を掲げたとしても人間は弱いもの。それを克服する一つの考え方が、天が自分を常に見ているという意識をもつこと、または自分を超越した何かに畏れること、それによって自分を律すること「慎独」。

  • 「君子必ず其の独りを慎むなり」-大学

2) 志・熱意

「真の志とは、自分の心の奥底に潜在しつつ、常にその念願に現れて、自己を導き、自己を激励するものでなければならぬのです。書物を読んで感心したり、また人から話を聞いて、その時だけ感激しても、しばらくたつとケロリと忘れ去るようでは未だもって真の志というわけにはいかないのです。いやしくもひとたび真の志が立つならば、それは事あるごとに常に我が念頭に現れて、直接間接に自分の一挙手一投足に至まで、支配するところまでいかねばならぬと思うのです。

願いに対して真実であるならば、仮にその人の肉体が生きている間に実現せられなくても、その死後に至って必ずや実現せられるものです。否、その志が深くて大きければそれだけ実現には時を要し、多くは肉体が死して後に初めて実現の緒につくと言ってもいいでしょう。すなわち、生前における真実の深さに比例して、その人の精神は死後も残るわけです。

諸君たちは師範教育を受けること2年、果たしていかなることをもって、自分の一生の志としているでしょうか。諸君らのうちに自分の死後においてその実現を期するほど内に遠大な志を抱いて、日常生活の歩みを進めている人が、はたして何人いるでしょうか。諸君、人生は二度とないのです。存命の間に不滅の精神を確立した人だけが、肉体が朽ちた後にもその精神はなお永遠に生きて、多くの人々の心に火を点ずることができるのです。」

「ちっぽけな会社で、なおかつファインセラミックという市場もない時代でしたが、この新しい分野で新しい産業を立ち上げるんだ、そして世界一になるんだ、という高い志を掲げました。京都一ではなく、世界一という山の頂を目指していくんだと決め、まっすぐに登り始めたんですが、それはものすごい急斜面でなかなか登れない。あまりに険しいので、私も部下も足がすくんでしまう。それでも、ハーケンとザイルを使って、絶壁を垂直に登りました。
なぜ、危険な垂直ルートを選んだのか。多くの人は、迂回して徐々に高度を上げていけば、いつかは頂上に着くだろうと考えるが、迂回していくうちに二周もしないうちに人生の終わりがきてしまう。でも、まあここまで登ったじゃないか、自分が望んだ頂には未だ遠いけど、努力して近づいているじゃないかと納得する。みんなそうして一生を終わっていくんだろうなと思いました。でも私は、どうしても頂にたどり着きたい、何が何でもファインセラミックという素晴らしい製品を少しでも早く世界に届けたいと思ったんです」

「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには、物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することである。」

「熱意を持っている人は、自分には分からないこと、できないことがあっても、人の協力を得ながら課題を解決しようとするはず。能力の有無ではなく、そういう熱意があるかどうか。」

  • 安岡先生いわく、「一燈照隅・万燈照国 (いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく)」

「自分の会社、学校、あるいは地域社会で、一隅を照らそうと覚悟を決めて歩き始めた人が必ず突き当るところがある。それは半年後、一年後にみんながなかなかついて来ず、遅々として変わらないこと。
何の権限もないただの社員、派閥の長でも大臣でもない一介の代議士、社長といえどもしょせん肌の王様、無名な主婦でしかないこんな私が、一人頑張ってみたところで社風なんて変わりっこないとか、業界の流れを変えることなどできないなど、自身の限界や無力感にさいなまれ投げ出してしまう。
しかし、『一隅を照らそう』と覚悟を決めた人間が、まず戦わなければいけないのは、自分の中の弱さなのだ。その弱さを乗り越えて、自分の責任分担で一隅を照らせるようになっていった時に、認められ責任を与えられ、次はより広い範囲でより多くの人と接するようになる。そうしたとき、一隅を照らす光が、二燈目、三燈目、四燈目と広がり、いつしか万の燈火となって、国をも明るく照らすようになっていく。」


So what

志とは

自らが死んで後も後世に受け継がれる夢やロマンで、周囲に希望をあたえ、率先して協力しようという気にさせる無限の力。「志」という字は、十 (大衆)、一 (リーダー) 、心に分解できるので、公に仕える心ともいえる。諸葛孔明いわく「寧静致遠」。あくまで自己中心的な野心とはき違えてはいけないよ。

  • 諸葛孔明いわく、「澹泊にあらざれば、以て志を明らかにすることなく、寧静にあらざれば、以て遠きを致すことなし(私利私欲があれば志は明らかにできないし、それを保ち続けることもできない。ゆったりと落ち着いた心境にならないと、遠大な境地に立つことはできないよ。)」
  • One Piece いわく、「受け継がれる意志、時代のうねり、人の夢。人々が自由の舞台を求める限り、それらは決してとどまることはない。終わらぬ夢がお前たちの導き手ならば超えて行け!己が信念の旗の下に!」
  • 稲盛和夫さんいわく、「確かに自分の欲望をエンジンにしても、ある程度の強い願望はもたらしますが、大義は全然違う。世のため人のためという大義があれば、自らの命を落としてでも構わんというぐらいの信念になっていきますから、やはり強いんだと思いますね。」

熱意

その高い志の下に、何が何でも結果を出すんだという責任感を帯びた強固な意思が熱意。これがないと、発起心どまりで、継続心に進化せず、艱難辛苦に直面するとくじけてしまう。ソニー元会長 出井さんいわく、「経営者に何が必要かといわれれば、まずは事業や企業に対するパッションだね。それがないと、社員もひきつけられないし、困難も乗り越えられない。」

しつこさ

そして、最善の結果を追求するしつこさ。斬新なアイデイアは、天才のひらめきでうまれるのではなく、どれだけしつこく考えるかの関数。知識×しつこさ=知恵。ソニー元会長 出井さんいわく、「経営者にはこだわりが絶対に必要。重要だと思ったことには、最後の最後までこれでいいのかとこだわる資質が必要で、それがないと独創性が生まれてこない。」