オイルショックからバブル絶頂期(成長鈍化要因)

  • 賃金上昇: 60年代後半から労働力不足により人件費急上昇
  • 円高圧力: 71年に360円から308円へ、73年には変動相場制へ、85年のプラザ合意で250円台から87年には120円台へ
  • オイルショック: 固定費の削減(有利子負債の削減による銀行離れ)、雇用調整で人件費削減(解雇は極力避け、新規採用の停止、残業時間の短縮、配置転換、ベースアップの抑制など)、省エネ技術の発展

65-70年にかけて続いたいざなぎ景気が終了。その転換点が、労働力不足による賃金の上昇。具体的には、春闘でのベースアップ率が69年に16%、70年に19%、さらに平均賃金はベースアップ率を上回って上昇。続いてオイルショック、その後の度重なる円高圧力によって、日本の経済成長は鈍化。一方、この間に産業の二極化が進行。逆風が吹くたびにプロセス・イノベーションに努め、少資源国家の弱みを資源の有効活用という強みへと変え、鍛え抜かれた輸出産業に対し、政府の過保護の下に甘やかされているとも知らずに育った規制産業。その違いは、バブル崩壊後に冷戦終了によってもたらされた「真の国際化」という名の荒波で、顕在化する。

外圧が迫るたび投票権と引き換えに政治家にすがりつく多くの零細農家。1/10以下の人件費によって産業の空洞化に嘆く製造業界。新規参入・値下げに苦しむ運送業界。銀行・証券・保険の垣根が徐々になくなり再編を迫られる金融業界。医療費抑制のため薬価や効率性など見直しを迫られる医療業界。電力自由化やNTT回線網の開放など門を開かざるをえない独占企業。採算性・市場競争という名の監視が厳しくなった公団・公社。

高度成長期には、強者が弱者を助ける制度が美徳化され、その余裕もあったが、国際化という環境では、スィチングコストが低いため、勝ち組に対して法人・所得税をあげると他国へ逃げられてしまうし、国にも財政的余裕がない。長期成長のまばゆい光に隠れていた影の部分、過保護政策が、バブル崩壊と国際化の荒波によって表面化、長期低迷の一要因となり、先進国でも近年例を見ないデフレ不況へとつながった。