なぜ戦後の高度成長が可能だったのか?

敗戦からオイルショックまでの高度成長期

外部要因
  • 冷戦下の国際情勢: アジアにおける共産主義への防波堤として経済復興をバックアップ
  • 戦争特需: 朝鮮戦争ベトナム戦争特需
  • 固定相場: $1=\360が1949-1971年まで継続
内部要因
  • 割安な人件費: 質の向上した若い労働者が大量供給され、年功序列による賃金体系が平均労働コストの上昇を抑制
  • 膨大なニーズ(大量消費): 核家族化により世帯数が増加+所得水準も急上昇+強者が弱者を助けることで所得の平等化を図り皆が豊かに=車や家電など耐久消費財を大量消費
  • 旧体制の崩壊(財閥解体、農地改革、労働三法): 公職追放で経営陣が若返り、競争的市場への再編が旺盛な設備投資を助長、放出された株式は旧財閥系を超えて取引先との長期信頼関係に基づく株式持合へと変化(長期志向経営をサポート); 農地改革により多数の自作農が創出され、その多くは共産党から自民党支持へ回り、高度成長期の政治安定をサポート; 労働三法が日本的経営システム(終身雇用、年功序列企業別組合)へと発展
  • 正しい戦略(高品質・低価格路線): 日本的生産システム(JIT自働化多能工カイゼン)+日本的製品開発システム(ラグビー方式、デザイン・イン)=大企業が下請け企業と特有の産業組織を構築-> プロセス・イノベーションに特化した高品質・低価格路線により、急速なキャッチアップを実現
  • 先導役(政府): 産業育成(重化学工業化の基幹となる石炭・鉄鋼を重点的に増産、それをテコに経済全体の復興を狙った傾斜生産方式*1郵貯簡保を原資とした財政投融資+政府系金融機関による長期の低金利融資)、セーフティネット(石炭、繊維、硫安、農林水産業など衰退産業を補助金でサポート)、国内産業保護(護送船団方式、競争抑制策、外資参入障壁)
  • モチベーション(国民性): 政・官・財、そして国民が一体となって経済発展へと突き進む猪突猛進スタイルが「日本株式会社」を体現
  • 負の遺産: 戦中の借金はハイパーインフレで帳消し; アジア諸国への賠償金は、高度成長期の1960年前後から支給され円高効果もあり実質負担減、加えて物納やインフラ整備など主に日本の商社が仲介し一部を享受
  • 軽武装国家: 軍事費を大幅に縮小し、経済活動へ配分

高度成長の中身: 内需主導

高度成長期の貿易依存度(GNPに対する輸出入比)は、戦前の半分程度でかつ安定していたので、1950-1960年代の成長は、実は内需主導。その後は、内需と輸出が両輪となって回転。

日中比較

日本の復興を手本にしている中国との共通点は、安い人件費、為替の固定、政府主導の戦略。自立していない段階では、市場競争に任せて長期低迷したロシアより、日本・東南アジア・中国のように政府保護の下、成長を促した方がリスクは抑えられるというのが経験則。最近では、官民一体となって大型プロジェクトを受注する韓国が好例。

その戦略も、膨大な人口を背景とした安い人件費を土台にする中国に対し、日本の場合、文化にマッチした戦略、プロダクト・イノベーション(新製品開発に関するイノベーション)ではなく、プロセス・イノベーションに特化した高品質・低価格路線が奏功。

だが最大の違いは、所得格差問題。日本が行った平等化策は、所得税主体の税制+累進課税の強化、政府の農業保護政策によって農工間の所得格差を縮小(衰退産業も同様)、年功序列による平均化した給与体系(組織単位の仕事が中心で成果主義を採用しにくく、年少者は年長者に従うべきという儒教的な考え方が浸透)。強者が弱者を助ける制度によって、日本国民皆を豊かにして、大量消費につなげ高度成長を謳歌。でも戦後の復興が奇跡と称されるのは、実は絶妙のタイミングで神風(朝鮮戦争特需)が吹いたことなのかもしれない。

*1:傾斜生産方式: 重点分野に税金を投入して育成
戦後の極度な資源・資金不足により選択と集中が必要-> 重化学工業化の基幹となる石炭・鉄鋼を重点的に増産、それをテコに経済全体の復興へ=傾斜生産方式 (priority production)-> 政府の補助金で鉄鋼業は石炭を安く購入+資金面は復興金融金庫がバックアップ(復金の融資額は全金融機関の3/4、その1/3超が石炭産業に集中)+労働力の確保(米・酒・タバコなどを炭鉱労働者に優先的に配布)