修身教授録 III

感謝の心

人生の意義を知るには、何よりもまずわが身自身が、今日ここに人間として生を与えられていることに対し、感謝の念が起こらねばなりません。自分がこの世の中へ人間として生まれて来たことに対して、何ら感謝の念がないということは、つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいで来た何よりの証拠と言えましょう。というのもわれわれは、自分に与えられている、根本的な恩恵を当然と思っている間は、それを活かす事はできないからです。これに反してそれを『ありがたい』と思うに至って初めて真にその意義を活かすことができるのです。

人生の深さ

人生を深く生きるということは、自分の悩みや苦しみの意味を深く噛みしめることによって、かような苦しみは必ずしも自分一人だけのものではなくて、多くの人々が等しく悩み苦しみつつあるのだ、ということが分かるようになることではないかと思うのです。これに反して人生を浅く生きるとは、自分の苦しみや悩みを、ただ自分一人だけが悩んでいるもののように考えて、これを非常に仰山なことのように思い、そこからしてついには人を憎んだり怨んだりして、あげくの果ては自暴自棄にも陥るわけです。自分の悩みや苦しみを噛みしめていくことによって、周囲の人々さらにはこの広い世間には、いかほど多くの人々がどれほど深い悩みや苦しみをなめているかということに思い至るわけです。

すなわち真に偉大な人というのは、常に自分もまた人生の苦悩の大海に浮沈している、凡夫人の一人にすぎないという自覚に立っているのです。人生をあらゆる角度から眺めて、自分もまたそのうちの一人にすぎないと見ているので、その人の語る言葉は、色々な立場において悩んでいる人、苦しんでいる人々に対して、心の慰めとなり導きの光となるのです。

伝記を読む時期

伝記というものは、我々にとって人間の生き方を教わる意味において、いついかなる時期に読んでもそれぞれ深い教訓を与えられるわけですが、しかし私の考えでは、人間は一生のうちとくに伝記を読まねばならぬ時期が、大体三度はあると思うのです。第一は12-18歳前後にかけてであり、今一つは34-40歳前後にかけてです。そのうち最初の方は立志の時期であり、また第二の時期は発願の時期と言ってよかろうと思うのです。そして第三の時期は60歳前後であって、それは自分の一生のしめくくりをいかにすべきかを学ぶために、今一度先人の生き方について学ぶべき必要があると思います。

So what:

これまで当然と思っていたことを「ありがたい」と感じられる心境になれば、これまで欠けていた別の視点が加わり、人としての器量が増すよ。はじめは照れくさくても何度も口に出していれば、それが自然と口から出てくるようになり、経営者にとって最も重要な悪い情報ほど周りから入ってきやすくなるよ。手じかなところで、部下の報告・行動に対し、「ありがとう」と声に出してみては。「感謝は実力を倍化させる打ち出の小槌なり

「寝室に退いたら、原則として我を起こすな。よい報告は翌朝でいい。しかし、悪い報告のときは、即刻我を起こせ。なぜなら我が決断と指揮命令がいるだろうから」-ナポレオン

忍耐

最もいけないのが、口汚く叱りながら後になっても一向に悪かったと思わない人。次は事がすんでしまってから「あそこまで言わなくてもよかったのに」と後悔する人。そして最善は、怒りの言葉が出てきそうになったその瞬間、「あっ、ここだ、ここだ」と自ら食い止めることのできる人。怒りの情を心の内に溶かし込むだけの深さと広さがなければできないことです。

謙遜と卑屈

そもそも謙遜とは、我が身を慎んで己を正しく保つことが、その根本精神です。つまりいかなる相手に対しても、常に相手との正しい関係において、自己を取り失わぬということです。すなわち必要以上に出しゃばりもしなければ、同時にまた妙にヘコへコもしないということです。真に謙遜ならんがためには、何よりもまず自己というものが確立している事が大切だと言えましょう。すなわち相手が目下であるからといって調子にのらず、また相手が目上になればとて、常に相手との正しい身分関係において、まさにあるべきように我が身を処するということであります。かくして寸毫も嫌味の伴わない真の謙遜とは、結局はその人が常に道と取り組み、真理を相手に生きているところから、おのずと身につくものと思うのであります。

So what:

謙遜とは、相対ではなく自己の確立という絶対的な見地からの徳目。マンガの世界だからかもしれないが、軸がしっかりしていると、物事の真理をしっかりつかんでいると、美味しんぼの主人公-山岡士郎のように、卑屈にならず日本屈指の財閥 二木グループの会長や大物政治家 角丸副総理に対しても正論をもって正面から相手の非を諌めることができる一方、銀座のホームレス 辰っつぁんなどとも偏見なく親しく接することができる。