明治とは

坂の上の雲」や「竜馬伝」など再び注目を集める明治。私の理解では、民法や刑法はフランス、海軍はイギリス、医学はドイツ、陸軍もフランス式からドイツ式へ、そして憲法もドイツを参考にするなど、「欧米先進国のいいとこ取り」をしたのが明治。あるいは、精神的な支柱となる幹に、欧米の優れた様々な知恵を接木した「和魂洋才」。
今回は、私の尊敬する渋沢栄一のじいちゃんを中心に、明治の本質について・・・

西洋史を真の意味で「世界」史に変えたのが明治 by ドラッガー

明治以前は西洋人が世界を牛耳っていた西洋史の時代。それを、真の意味で「世界」史に変えたのが明治。明治という時代の特質は、古い日本が持っていた潜在的能力をうまく引き出したこと。江戸を廃棄せずに、再利用したこと。そんな古いものと新しいものを合成して成功させた明治、その時代を象徴する人物が渋沢栄一
ドラッガーいわく、「渋沢に代表される日本人は、新しいものを外から取り入れ、それを自分に合うようにつくりかえるという点で、他の誰にも真似できない驚くべき才能を持っている。あなた方 日本人は、古い独自の文化と近代的な西洋文化を両立させることができた唯一の民族。世界の歴史において、そのようなことが起きた例はほかにない。それが、明治というもの。」

明確な取捨選択

江戸の遺産を受け継いだといっても、全てを温存したのではない。明確な取捨選択があった。捨てられたものは、封建領主の支配する伝統的な政治制度。それを政党などによって構成される近代的な立憲君主制 + 議院内閣制に置き換えた。その一方、教育制度のかなりの部分は活用し、伝統的な儒教のカリキュラムを近代的な西洋のカリキュラムに置き換えるに留めた。

日本語で教育を実施: 大規模な翻訳計画を実行したのは日本だけ

そんな明治時代の重要な教訓の一つが、日本語で教育を行ったこと。英語だけでなく、フランス語、ドイツ語など、外国語文献の大規模な翻訳計画を実行した国は日本だけ。日本以外の国々では、近代化とは伝統を敵視し、否定することを意味していた。
留学中にインド人と話してみて、彼らは概ね3階級に分類できる:

  • インドの学校で英語を学んで、英米に留学したアングロ・インディアンともいうべき上流階級
  • インドの学校で英語を学んで、色々な技術を吸収して仕事をし、インドなまりの強い英語を話す中流階級
  • 過半数以上は英語を話せない下流階級

近代化を独占する上流階級は、イギリスとインドが合体したような社会、むしろ可能な限りイギリス人のようになろうとさえする。そのため、インド文化の基盤は失われる。加えて、才能ある子供たちを抜擢して高等教育を与え、近代化を推進する目的のためには、とても非効率。なぜなら、いかに才能があっても下流階級には学校にいく可能性が極めて低いから。同じようなことがフランスの植民地でも起こる。

ゆえに日本が翻訳主義をとった利点は、文化的階級差を弱めたことで、機会平等の裾野が広がったことかもね。

プラス思考: 楽天家 by 司馬遼太郎坂の上の雲

その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかをということを書きたいとおもっている。
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

東西文化の架け橋 by 森 信三

(台頭する中国の影で求められる日本人の役割について示唆に富む指摘) 日本人は何ら固定した自らの思想体系を持っていないために、あらゆる他の思想を受け入れ、その真髄を摂取しつつ、いつしか自分のものに消化し融合する能力に秀でている。・・・我ら民族の使命は、人類が遥かなる未来において、いつかは成就するであろうところの「東西文化の融合」という究極の目的に対し、一つの縮図を提供すること。少なくともそのために一つの「架け橋」になることこそ、我ら民族に課せられた、おそらく唯一にしてかつ最大の使命というべきであろう。

渋沢栄一からの忠告

今日の企業家の多くは、国家や社会よりも第一に自己の利益に着眼するようになっておりはしないか。甚だしきに至っては、眼中に社会なく国家なく、ただ私利あるのみという振る舞いすら見受けることもあるが、明治初年の企業家に比べて、その心事の相違は如何であろう。

経営者の眼中に国家も社会もない様では、その事業は永久的生命を保ちえるものいではあるまい。ただ目の前の利益にのみ固執し、国家社会と共に発展していくことを度外視するなら、事業の基礎堅実にして永久的の生命あることは望み得べからざる所である。

維新以来50年の間に長足の進歩とともに弊害も生じ、人は知識欲によってのみ走って、道義の念を失い、恩に報ゆるとか、義に勇むとか、長幼の序とか、忠信孝悌の道は大いに廃れた。軽佻浮薄の風習が段々強くなり、極端に言えば自己さえよければ他人はどうなってもいいという風に、西洋の良いことばかりでなく、悪い方も模倣してそれが増長してきたのが、わが国の今日の状況である。