大企業病 教訓I

名経営者の失敗」から学んだ教訓とほぼ同じことがあてはまるが、大企業であるがゆえの欠陥を追加すると、大企業では悪い情報ほど上がってこないため、耳の痛い話をしてくれたり、広い視点からものを言ってくれたりする外部人脈を豊富に持ち、アンテナを高くする必要がある。

次に、大企業病の本質「人事問題」と「精神的弱さ」への対処療法について。まずその企業だけに通用する価値観やモラルへ逃げ込み、それを社風として正当化しようとする「精神的弱さ」、その背景にある「誤った倫理観」への処方箋。そして抵抗勢力からいかに「人事権」を奪い取るか、中堅幹部からの改革、今回参考にした箭内 昇さんの15項目の「大企業病診断書」を加え、今回の教訓とする。

経営者本人

  • 主流派人事の連鎖を断ち切る勇気
  • 客観視→自己反省・否定→自己変革: 慢心を戒め、他山の石を心がけ、他人から学ぶ謙虚な心
  • 大局から異見を言ってくれる外部人脈の構築

企業文化の構築

  • 勇気ある「イエス」を活かす仕組み: 大勢に対し異論を受け入れ・促し、失敗から学び、共有
  • 業務上のグレーゾンに対し、判断基準となる規範の構築・浸透

高い倫理観: 慎独

総会屋対策や不良債権工作の根底は、「社会の規範には反するかもしれないが、企業の利益には大いに貢献している。我々こそがその先兵だ」という誤った忠誠心。多くの不祥事でも「会社のため」と弁明するが、実際はそのために会社が存亡の危機に立たされる場合が多い。彼らの本音は、問題を表面化させると出世に響くから、会社がつぶれると路頭に迷うからという「自己保身=人事問題」にすぎない。

では動機が正しい場合はどうか。「農村を貧しさから開放し、日本を天皇親政の国家にしたいがために立ち上がった」と涙ながらに訴えた5・15事件の首謀者らに、全国から100万を越す減刑嘆願書が集まり、判決の日には傍聴席のおばーちゃんが立ち上がって、「裁判長様、この青年たちを裁かないでください」と涙ながらに訴える一幕もあった5・15事件。彼らは暗殺者=テロリストなはずなのに、「動機が正しければ、道理に反するようなことも仕方ない」というようなことを受け入れやすい風潮が、2・26事件、そして軍部の独走を許すことにつながる。

結果的に誤った正義感、歪んだ忠誠心が、会社や国を存亡の危機に追いやる。それを防ぐには、高い倫理観を掲げ、業務上のグレーゾンに対し、判断基準となる規範を構築・浸透させていくしか手段はない。ただ、人間は弱いもので、隠匿の魔の手から逃れられない。そこで人間の弱さを克服する一つの考え方が、天が自分を常に見ているという意識をもつこと、自分を超越した何かに畏れること、それによって自分を律すること=慎独。

「君子必ず其の独りを慎むなり」-大学: 天が常に自分を見ているという意識で自己を律する=慎独

主流派人事の連鎖を断ち切る勇気

名経営者の失敗同様、経営トップは「時代は変わった」と頭では理解できても、既得権を失うことへの拒絶反応や危機意識への感度低下により、肌で感じることができない。それは、能力ではなく「感性」の問題。結局、後継者に自分と同じ「感性」を持った者を指名していき、「古き良き時代」のDNAが歴代のトップに受け継がれ、主流派人事が継続し、大企業病に陥っていく。経営を転換するには、この主流派人事の連鎖を断ち切ることが必要だが、この鎖は人間の煩悩の塊でできているため極めて強靭で、「中興の祖」や「実力次官」など院政をしきたがる煙たいOBも含まれるため、断ち切るのは容易でない。

最近では米国を見習い、社外取締役で構成する人事委員会を設けて役員人事をチェックする動きもあるが、米国でも90年代初めごろまでは社外役員はトップの仲良しクラブだったし、現在の人事委員会も多くはトップが指名する者を追認するだけというのが実態。最終的にはトップの決断、主流派と決別する「勇気」次第。

具体例

スイス銀行(現UBS)は90年代初め、不動産と海外融資の失敗で不良債権の山。当時のブルーム頭取は、自分たちが歩んできた融資業務中心の伝統的銀行業務の限界を悟り、非主流派であった証券畑の45歳オスペルへバトンタッチ、同時に自分と同世代の役員を全員退任。オスペルは次々とアメリカの投資銀行を買収、社風と業務を変革、わずか7年間でローカルなスイスの銀行を年金運用とプライベートバンク分野で世界No.1の投資銀行へ。日本では、非主流派の奥田碩を抜擢した豊田章一郎の英断が好例。