修身教授録 I

今回からは人間学シリーズ。ブログでは「徳育」「研鑽」というカテゴリーに分類。初回は、大阪天王寺師範学校 (現・大阪教育大学) で「修身科」を担当した森信三先生の講義をまとめた『修身教授録』。時代は昭和12-14年。物事の本質を学生相手に平易かつ端的にまとめた人間学の要諦。

捨欲即大欲

諸君らは最初から教師を志望してこの学校へ入ってきたでしょう。もし諸君の中に、「小学校教師で生涯を終えるなんてとてもやりきれないが、家庭の事情により高等師範学校へ進学して上級学校の先生になる夢を断念せざるをえない」という人がいたら、次のように考えてみてはどうでしょう。

「全国には自分と同じ境遇の学生が少なからずいて、今後もそういう人は多数出てくるだろう。そういう人々のために、自分は上級学校に行かずとも、小学校教師をしながらどこまで偉くなれるか、いけるところまでやってみよう」と一大決心の下、自ら潔く上級学校へ行きたいという小欲を捨てるのです。そして、高等師範へ行った連中には逆立ちしてもできないような成果を築き上げるのです。つまり、単に師範学校を卒業しただけで、一生を小学校に踏みとどまりながら、人間として至り得る極致まで行きつくということです。そのあかつきには、自分のみならず、現在から将来に渡って境遇に恵まれない幾多の人々を慰め、激励することになるのです。

このように考えると、高等師範へ行けないからといって、必ずしも悲観することはないのです。なるほど、この覚悟ができるまでは辛い日々が続くでしょう。ことに自分より成績も下で素質もたいしたことない同級生が、家庭が裕福なため進学できる場合、自分ひとり一生を小学校でくすぶらねばならぬかと思うと、悔しくてしかたないでしょう。

しかし、そういう人でもその心に一大転機ができたなら、生涯小学校教師として生きることに、絶大な光明が射してくるはずです。それこそ、真に生き甲斐のある男子一生の本懐の道といえるでしょう。かくして人間は、自分一人の満足を求めるチッポケな欲を徹底的にかなぐり捨てる時、かつて見られなかった新たな希望が生まれ出るものです。そして、いかなる艱難辛苦に会おうとも、人としての道を踏み外さないばかりか、人生を力強く生きぬけるようになるのです。これ果たして、弱者の道でしょうか。これこそ、剛者の道、いや最剛者の道といってもいいでしょう。

So what:

思い通りにいかないからといって他人のせいにしたのでは、うまくいかないことが多い人生、自分で自身を悲劇のヒロインにして、小さな世界でもがき苦しんでいるようなもの。いかなる艱難辛苦に会おうとも、逆境を素直に受け入れ、その中でベストをつくすことで、最終的には同じ境遇の人々に希望という光も提供できる。「艱難辛苦に感謝する心」、心の持ち方次第で、人としての道を踏み外さないばかりか、人生を力強くそして楽しく生きぬくことができるよという教え。易経にも同様な意味で「楽天知命」があるほか、松下幸之助のじいちゃんでも、「90%はうまくいかない」といっているほどなので、どうせならポジティブにとらえてみては、という知恵。

「天を楽しみ、命を知る。故に憂えず」-易経

人間というのは、常に心配事が多い生き物である。あらゆる努力をした後は(後悔しないような行動をとったなら)、どんな結果であれ、それを天命(宿命*1)と思って全てを受け入れなさい。「天がこうした方がいいと示してくれたのだ」と勝手に思い込むことでポジティブになれる。

*1:宿命: 命に宿るという意味で自分ではコントロールできない⇔運命: 命を運ぶという意味でコントロール可能