大東亜戦争とは一体何だったかのか? I
経営戦略というものをひも解くと、「現状とビジョンとの間を埋めるのが戦略で、大きく全社戦略と事業戦略に分類できるが、その戦略には合理性・客観性と創造性・革新性の相反する要素が必要で、それらはリーダーシップによってのみ統合される」、とある。今回は経営戦略という観点から軍部の戦略を検証して、大東亜戦争の本質に迫ってみた。
開戦理由: 売られた喧嘩
- 直接: 米国の石油禁輸+ABCD包囲陣による経済封鎖=「自存自衛」
- 間接: 日中戦争の泥沼化=「援蒋ライン」
直接的には、アメリカが日本の生命線である油を止める挑発行為に出たので、売られた喧嘩を買ってでた自衛戦争。その裏には、両国の中国を巡る利権争い「日中戦争」があり、双方とも手を引けと要求。さらにその遠因は、いくら主要都市を占拠しても降参せず泥沼化するばかりのシナ戦局に対して、軍部が考えた理由づけ、米英の蒋介石政府に対する援助「援蒋ライン」。石原莞爾らが懸念した日中戦争の泥沼化を米英批判にすり替えた結果、国民の間に反米英感情が浸透。米英と反目した日本は、ドイツと手を組まざるをえず、その果実が「日独伊三国同盟」。
真の黒幕は海軍?
東條が命じた企画院による調査結果、「石油備蓄量2年未満」、この石油問題が開戦の直接理由となったが、保坂正康さんによると
- 軍部とりわけ海軍が正確な数値を教えなかったため、いい加減な数値だったとの証言
- 石油の枯渇を当て込んだ民間会社の海外石油事業を軍が意図的に阻止
- 海軍の主要中堅クラスは対米英強硬派が占め、海軍内の政策決定を牛耳る「海軍国防政策委員会」のリーダー役に就任、彼らが上記の石油問題を画策(三国同盟や対米戦に反対した米内大臣、山本次官、井上軍務局長グループはむしろ少数派)
- 陸軍は海軍の護衛がなければ太平洋上で武力発動できず、泥沼化した日中戦争の負い目から、「戦争しろ」とは言い出せない状況
- 東條の秘書官談「陸軍だけが悪者になっていて、東條はその悪人中の悪人とされているが、陸軍側からは大いに異論がある。あの戦争を始めたのは海軍さんだよ。」
戦争目的(ビジョン): なし
極論すれば、戦争の目的は「利益の獲得(その当時までの殆どは領土獲得)」と「その侵略に対する防御・自衛」のみ。戦争目的に企業ビジョンのような感銘を与える力はもともとなく、動機がどうあれ結果的に「勝てば官軍」なので、目的の意義を議論しても無意味かもしれないが、あえてもちこめば日露戦争では、あまりにも横柄な態度で威圧してきたロシアに日本の正義を主張できた一方、対米戦ではこれまで「大東亜共栄圏」の名の下に行ってきた統治手法に、表向きのビジョンを裏付ける根拠が乏しく、仮に「自存自衛」を掲げても、なぜ戦争という手段を選択したのか、軍のメンツを捨てて真の国益を考えた結果だったのか、その見本回答がないままでは、やむを得ない戦争だったとは言えまい。その結果、多くの戦争体験記で投げかれられる疑問、「何のために戦っているのか」、その大事な答えを軍部は持っていなかったことになる。
戦後、インドネシアなど民族独立運動の戦いに身を置いた真の「東亜開放」の戦士は、皮肉にも日本では「逃亡者」扱いされ、帰国しても軍人恩給の面で差別されたのが実情。
戦争の終結シナリオ(中期経営目標): なし
- 勝利の目標設定: 相手の意思次第
- 敗戦ライン: 真剣に検討された形跡なし
開戦約1ヶ月前に大本営政府連絡会議で決まった「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」によると、日本は、極東にあるアメリカ、イギリス、オランダの根拠地を壊滅させて自存自衛体制を確立し、蒋介石政府を屈服させる。そしてイギリスは、ドイツとイタリアによって制圧してもらう。そうすると孤立したアメリカが「継戦の意思なし」というはず。その時にこそ戦争は終結する。
さらにこの方針を補完するため7つの要領が書き加えられたが、そこにはイギリスの軍事力を過小評価し、ドイツに全幅の信頼をおき、アメリカ国民の抗戦意欲を軽視し、中国の抗日運動は政戦略の手段をもって屈服を促す、という願望と期待だけの根拠なき字句の羅列。
この腹案の原案を作成した軍務幕僚談 「東條や上層部の意見を集約しただけ、自分でも都合いいなと思った」というほどお粗末。加えて、決戦に勝利したとしても、それで戦争が終結するのか、負けた場合どうなるか、真剣に検討された形跡もなし。