軍部中枢内の力学
強行派への権力シフトの経緯
権力シフト・下克上の理由
- 人事システム: 陸軍は戦闘結果よりリーダーの意図・やる気が評価(積極論者が過失を犯しても甘い人事: e.g. ノモンハン大惨敗の首謀者である服部-辻コンビは、一時的に左遷されたのみで2年後には軍部中枢の作戦部へ復権)
- 教育制度: 陸軍大学は、議論達者で意志強固な生徒を育成する土壌→指揮官を補佐するというよりリードし、時には指揮官を指揮する局面もあり
軍人の性かな、戦争反対・消極論を唱えると弱者扱いされる環境下では、合理性より精神論に重きを置いた声の大きい強硬派が受け入れられやすく、石原<武藤<田中へと権力がシフト。なお、武藤は対米戦には反対だったものの、中国がシナ戦線拡大を主導した武藤の極刑を強く望み、東京裁判で唯一、中将として絞首刑判決。一方、作戦課長を二度勤めた服部はGHQとの司法取引により戦犯追求を免れ、旧陸軍の資料管理の部門長へ、同時に辻の戦犯解除にも尽力。その辻は、フィリピンのバターン半島で降伏した米捕虜に独断で射殺命令「バターン死の行進」を出すなど、前線での数々の越権行為に罪を問う声がある一方、1952年から衆議員を4期、参議員を1期務める。