金融機関-なぜ財テク融資へ暴走したのか?(融資先×暴走要因)

融資先

  • 融資先の変化: 大手企業は70年代半ばから独自で資金調達するようになり、銀行離れが加速(とりわけ長銀日債銀にとっては深刻問題→不安・あせりを助長)
  • 限られた選択肢(部分的金融自由化への過渡期): 護送船団方式、証券業への法的壁、中小企業・個人向け融資は審査法未確立、債券市場や他の証券化商品市場も未成熟→財テク融資が最も輝いて見えた時代
  • 新しい仕組みの誕生=「住友方式」+「迂回融資」: 信託銀行にしか許されていない不動産斡旋のうまみ(不動産購入資金の融資+不動産斡旋手数料)を銀行でも吸収できる脱法すれすれの仕組み「住友方式」、不動産業へ直接融資できない銀行にとって当局の検査が及ばないノンバンクへの迂回融資

暴走要因(アクセル+ブレーキの機能停止)

  • 過当な横並び意識(対住銀): 「住友方式」による住銀の躍進+住銀と平和相互銀行の合併+磯田会長の『向こう傷は問わない』宣言→都内を拠点とする大手行を刺激→業界トップ富士銀のプライドをかけた仁義なき戦い誘発→他行へも波及
  • 複数のチェック機能が麻痺
    • 審査部門の形骸化: 他行だけでなく自行のライバル支店とも融資合戦=担保物件審査のスピード化
    • 形式的コーポレート・ガバナンス(ボトムアップ): 絶対権力者に意見できても変化を起こさせるような体制の不備(勇気ある「イエス」を活かすシステムの欠如)、監督当局も不介入
    • 暴走を制止できない雰囲気(トップダウン): 経営陣が危険性を認識していても、現場レベルの熱意に水をさせない(「ノー」を言えない弱さ)
    • ノンバンク網の複雑化: 複雑化するノンバンク網により、銀行自体が融資全体像の把握困難
  • 経営目標の変化(預金量拡大から収益重視): 預金量拡大を目標にしていた邦銀の自己資本比率は欧米に比べ低く、国際的な統一基準BIS規制の導入により収益重視の体制へ(実質的には融資量合戦へ変貌)
  • 国民性: 大東亜戦争末期の症状=いったん動き出したら死ぬまで止めない=資産価格と運命共同体

超金融緩和政策によりお金はジャブジャブ→でもこれまで優良な貸出先だった大手企業が、独自に資金調達するようになり融資先が先細り→他の選択肢を探しても、護送船団方式の世界では差別化は困難だし、大手企業が流れていった証券業(エクイティファイナンスなど)への参入は法的壁があるし、中小企業・個人向け融資には従来の大手審査基準(土地担保主義)は不向き→そんな中、住専などのノンバンクは大もうけ、そのからくりは不動産や株式投資資金への「財テク融資」=利幅が大きく担保も土地→でも銀行は”直接”不動産業へ融資できない→新しい手法の発案=「住友方式」+「迂回融資」→「住友方式」で業績を急拡大させた住銀へのライバル意識拡大+ノンバンクへの「迂回融資」により不動産関連投資へ傾斜+自行のライバル支店とも融資合戦を展開→担保物件の審査スピードが勝敗を握るため審査部門が形骸化=融資業の本質を見誤る土壌が完成→そこへBIS規制の導入により、経営目標が量から質へ転換「収益至上主義」=利幅の大きな財テク融資に拍車(実質はなりふりかまわぬ融資量合戦へ変貌)→資産価格と運命共同体→銀行の不動産業+ノンバンク向け融資残高比は84年の約15%から90年の約30%へ倍増(不良債権が少ないと称賛された三菱銀行などは、実は出遅れただけ)

反省コメント

  • 「列島改造論の70年代、銀行は土地融資で失敗しかけたが、その後の値上がりで帳消し。あの成功体験がバブルを招く一つの要因になった」-岸 元東京三菱銀行会長
  • 「不動産の価値を地価ではなくキャッシュフローから評価した不動産の証券化商品が、当時の証取法では有価証券として未認可、それがあればこれほど大きな被害にはならなかったはず」-野村證券幹部