生きがい・働きがいの本質-II

3) 意思決定の基準: 罪 vs. 恥

判断基準が神の地域では、他人はどうであれ神と私との「縦の関係」なので、「そんなことしたら 神様に叱られるよ、罰を受けるよ」。一方、判断基準が周囲の人々の地域では、人と人との「横の関係」共同体を重視するので、「周りの人から笑われるよ、そんなことして恥ずかしくないの」。『菊と刀』で有名な文化人類学ルース・ベネディクトいわく、「罪の文化 vs. 恥の文化」。

4) 天命/ 成功・失敗: 人事を尽くして 天命を待つ vs. 人事を尽くして 尽くし続ける

「神の物差し」の世界では、神に下駄を預けて生きているようなものなので「神下駄主義」、あるいは「人事を尽くして 天命を待つ」の心境になり、成功は神が与えた祝福、失敗は神が与えた試練と捉え、失敗しても何らかの価値があり、神の思し示しとてそのまま受け入れる。

一方、頼るべき指針が自分や「世間の物差し」だと、成功するには努力で勝ち取るしかない、一種の「人間努力主義」。失敗すれば努力が足りなかったと自分を責め、自分には才能がないと挫折感を抱き、周りの目を気にするあまり「世間の物差し」として、失敗=負け組=無価値 と受け止めがち。そのため成功するには、「人事を尽くして 尽くし続ける」結果に。

5) 幸せの意味: 幸せであると「気づく」型 vs. 欲求を満たすことで幸せになる「追求」型

「神の物差し」の下では、幸せとは「気づくもの」。神と共に生きている幸せに気づき、周りの人々から愛されていることに気づき、自分に与えられている成長に気づいてさえいれば、たとえ物質的・金銭的に満たされていなくても心は幸せ。幸せとは、幸せになるものではなく、幸せであると気づくかどうか。

一方、多くの日本人は、現世の様々な欲求を満たすことで、幸せになる追求型。そのため、「現状に不満がなければ幸せ、不満があれば不幸せ」と感じる。でも、人間の欲求は無限なので、いつまでたっても本質的な幸せを感じることができず、街頭調査でもよくある「不満はないけど、幸せを実感できない」という結果に。「No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly One」が女性のハートをつかんだのも、そういうことを言われたい、認めてもらいたい人が大勢いるから。加えて、戦前まで日本人の規範であった武士道の精神や論語など、道徳教育も弱体化したため、同期内の出世競争や隣のご主人は・・・なのに、など「世間の物差し」を重視するあまり周りとの比較に大きく傾斜したのが現状。

6) 日本人にとって神仏とは: 幸せの自動販売機 vs. 気まぐれなスロットマシーン

健康、厄除け、安産、合格祈願など神頼みをしても望みがかなわなかった場合、お願いした回数が足りなかったかも、賽銭の額が少なかったかも、近所の神社でなく太宰府天満宮など有名どころじゃないと効き目がないのかも、などと考えてしまいがち。「お賽銭の額に見合う幸せが 神から自動的に出てくると錯覚」している日本人が多いことを皮肉って、宗教学者 ひろさちや氏いわく、日本人にとって神様とは、「幸せの自動販売機」のようなもの。幸福をお金で買おうとする心、神仏を取引とみなす心、そんな心の隙間に霊感商法が取り付く。霊感商法とは、信仰がお金に換算され効用と交換される取引所、だから商法と呼ばれるのかも。

対して、ご利益は神任せ、出るか出ないかは神の気まぐれな「神の物差し」の世界では、神仏とは「気まぐれなスロットマシーン」のようなもの。信仰が金銭取引でなく、一切報われなくても構わない、気まぐれだからしかたないというある種のあきらめがないと、霊感商法の魔の手からは逃れられない。私を信じていれば大丈夫と断定する人、信じる/ 信じないは本来こっちの勝手だのにね。それに彼らの思想・占いが世の中にとって絶対必要なら、金銭に頼らずとも使命感だけでやれるはずだのにね。

One Piece 白ヒゲいわく、「(海軍の戦略に引っかかり疑い始めた配下の海賊達に対し、自ら氷の壁を砕き退路を与えたうえで) 海賊なら、信じるものはてめェで決めろォ!!!・・・おれと共に来る者は命を捨ててついて来い!!!」。

日本の神話全体像: 朝鮮系の王権神話 + 南方系の無為中心の構造

「中空均衡構造」は日本独特だと思われがちだが、二つの神が対立するような三神構造がインドネシアでもしばしば認められることから、大林太良さんいわく、「日本の古典神話体系の中軸をなしているのは、朝鮮半島を経由して入ったと思われる王権神話。個々の神話は、まさに地上の正当な支配者としての天皇家を基礎づける神話を核として集結し、体系化された。しかも、このような王権神話を受け止め、かつ日本神話に特徴的な性格を与えたのは、恐らく南方系の無為中心の構造であったと考えられる。」

東西文化の架け橋 by 森 信三

日本人は何ら固定した自らの思想体系を持っていないために、あらゆる他の思想を受け入れ、その真髄を摂取しつつ、いつしか自分のものに消化し融合する能力に秀でている。・・・我ら民族の使命は、人類が遥かなる未来において、いつかは成就するであろうところの「東西文化の融合」という究極の目的に対し、一つの縮図を提供すること。少なくともそのために一つの「架け橋」になることこそ、我ら民族に課せられた、おそらく唯一にしてかつ最大の使命というべきであろう。