「不運のすすめ」-米長邦雄
二人の一流棋士から、易の原則「窮まれば変ず(陰陽転化の法則)」、「陰陽の二極性・相乗効果・バランス」に当てはまる表現を抜粋。まずは、日本将棋連盟会長 米長邦雄さんの著書「不運のすすめ」より、人生経験を積み重ねたベテランの味・・・
勝った時、負けた時に何をするか?
- 好調で精神的に落ちついて余裕のある時: 負けた将棋を並べて欠点を直す。心に余裕があるからこそ、自己を客観的に落ちついて吟味し、批判できる。逆に勝った将棋を並べると、慢心につながり、粗い将棋になりがち。
- スランプ時: 長所を伸ばすこと、あるいは欠点を見ないこと。「まさかあんな相手に負けるとは・・・」と落ち込んでいるときこそ、自分の勝った将棋を並べ「俺は強いんだ」と鼓舞し、勢いづけること。
- 極意: 勝っている時に負け将棋を並べ、負けている時に勝ち将棋を並べる。これが勝利の女神に好かれ、貧乏神を遠ざける極意。大山康晴 15世名人いわく、「長考するのはうまくいきすぎている局面」。得意の形になった時こそ注意、あるいは勝っているときこそスランプの始まり。これには勝負師が拠って立つべき真理が含まれている。
既存概念を捨てれば道は開ける
40代半ばの頃、どうしても20代の棋士には勝てなかった。ある若手棋士に尋ねたところ、「先生と指すのは非常に楽。先生は、この局面・形になったら絶対逃がさない得意技をいくつも持っている。一方、対策を立てているこちら側は、自分のパターンに入ったと先生が思うときを待っている。あるいは誘導している者さえいる。それを先生はご存知ないから、僕らとしてはやりやすい」。
(ではどうすればいいのか)
その若手棋士いわく、「自分の得意技を捨てること」。これまでの将棋人生の中で無意識のうちにつくりあげてきた将棋観や指しなれた筋などの既存概念、それがサビついているのなら、「捨てて」新しい物と入れ替えよ。常に自己を客観視-> 否定-> 変革することが勝ち残る必要条件。
セブン&アイHD会長 鈴木敏文さんいわく、「プールの水をきれいにするには、汚れた水を抜いてから新しい水に入れ替えたほうが、確実で早い」
気を発すれば人が集まる
なぜ毎週土曜日に開かれる米長道場に、17歳の羽生義治など若き棋士20名前後が集まったのか。それは、私が「絶対にタイトルを取る」という気を発していたから。おおよそどんな世界でも、いつも有望な若手に囲まれている人は、そのようなオーラーを発している。この機会によって最盛期を過ぎていたものの、道場開校4年後、50歳を目の前にして、悲願の名人位を獲得。
迷いはなぜ生じるのか
「今の自分の力では結論が出せない」ということを認識できているかどうか。本人が気づかなければ、出るはずのない結論を捜し求めて、いつまでもただ考えているだけになる。様々なプロセスを経て「無理だ」ということになれば、自分の将棋哲学に基づいて次の一手を決める以外にない。人生の難問も、自己の人生観や価値観に即して、決める以外にない。自分で決断したなら、たとえうまくいかずとも納得できる。
そういう場合、直感を信じた方が良い。物事を深く考えること自体悪いことではないが、「深読み」は往々にして不幸な結果をもたらす。「長考に妙手なし」。
不運と幸運は表裏一体の関係
運のいい時とは、満開の桜の時期で、美しく華やかで人目を引く。一方、不運の時とは、桜の木が土の中に根付こうとしている時期。世間は根っこを張っているだけの木には目もくれず、役立たずとダメ出しもする。目に見えない土の中のことは無視され、花をつけていなければ敗者として処理されるのが世の中。だが、しっかりと根を張った桜は、やがて芽を出し、驚くほど豊かな花を咲かせる。
不幸とは幸運の根源で、考え方や心の置き所を少し変えるだけで幸運をもたらす。幸運も不運も川の流れのごとく動いている。