易経X-人生の目標

人生の目標とは

富・名声・力、人間の欲は限りないけど、「死生命有り、富貴天に在り」のように、努力だけではどうにもならないのがこの世。つまり富・名声・力、これら「陽」の要素を自分ではコントロールできないものと極めた瞬間、「窮まれば変ず」陰陽転化の法則に従い、どうせなら努力に比例した成果を人生の目標にしようと自分の周りを見渡すはず。すると、人望のある人、周りを大事にする人、困ったときに逃げない人、思いやりのある人など、いわゆる信義仁の「陰」の要素になってしまう。
中学の頃、漢文を習っていた時、「君子はかくあるべきとか、汚れなき聖人の話をしても・・・そういう人になれたらいいけど・・・やっぱり私とはかけ離れた別世界の話」というある種、寓話のような感じを抱いていた君子論。でも、つきつめれば最終的に目指す私の理想、「私という存在が、人生のターニングポイントになったとより多くの方に思ってもらえるような存在/ 困ったときに私の亡霊が現れて、何かを諭してくれる・勇気づけてくれる・奮い立たせてくれるようなバーチャル駆け込み寺的存在/ この人と一緒なら給料安くてもいいやと思ってもらえる存在」、・・・皮肉にもレベルは違えど孔子と同じ方向。

孔子子路と一番弟子の顔淵に向かって、「どうだ、お前たち、それぞれ自分の希望(志)を言ってごらん」

  • 子路: 「自分の馬車、いい着物や毛皮を友達と共有し、それらが傷んでも気にしない、そういう(友情に厚い)人間になりたい」
  • 顔淵: 「私は善いことをして傲らず、人に苦労を押しつけて迷惑をかけたりしない。そういう人になりたい」
  • 孔子: 「年寄りには安心され、友達には信用され、若者には慕われたい」

孔子の「志」とは、自分よりも目上の人、同輩、目下の人にも「ほっとした感じ」を与える、「あの人がいれば安心する」といわれるようになる、これが孔子の「志」であり、指導者論。

この人徳ともいわれる陰の要素を高めることで、「陰陽の相乗効果」により陽の要素が高まり、運気も向上し、結果として「富・名声・力」につながるのではないかと。逆にいえば、陽を高めるのではなく、陰を強化することの重要性「陰陽の二面性」を認識。韓非子いわく、「下君は己の能を尽くし、中君は人の力を尽くし、上君は人の智を尽くす」。自分の能力を使うのは三流で、他人の知恵を使うのが一流のリーダー。安岡正篤 先生いわく、「天地、人間の創造変化は、相対立するとともに相関連する、形のうえでは相対して同時に相待つ。その根源は陰であります」

そのためには、「一日が一生の縮図」という時間軸を設け、陰陽の両極「自強不息、厚徳載物」、とりわけ陰の代表格「感謝の心」で、陰陽のバランスを図り、「自己を客観視->自己否定->自己変革」を意識して日々反省・精進していくしかないというのが、30代で感じた中国古典からもらった不思議な力。

羽生義治さん いわく、「才能?・・・以前は一瞬のひらめきだと思っていたが、今は長期間、同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。個人の能力差より、継続できる情熱を持っている人の方が、長い目で見ると伸びる。-----プロとアマチュアの違い?・・・アマチュアとは違う特別なものを持っていて、その力を瞬間的ではなく持続できること。」

その結実が、バルセロナ五輪200m平泳ぎで金メダルを獲得した岩崎 恭子さんの笑顔より、アトランタ五輪ラソンで銅メダルを獲得した有森裕子さんのゴール直後の笑顔。同じ一番でもシドニー五輪で金メダルを獲得した笑顔より、アテネ五輪選考レースで敗れた因縁の東京国際女子マラソンで、復活優勝した時の高橋尚子さんの笑顔。

(参考1) 易経の一部 竹村亞希子著「リーダーの易経

易経には64種類の物語が記され、それぞれの物語は6段階の時の流れで構成。その物語で、最も原則的な時の変遷をたどる龍の話が「乾為天(けんいてん)」という「卦(か)」。
乾為天は龍伝説に例えられ、地に潜んでいた龍が力をつけ、飛龍になって勢いよく昇り、そして降り龍になるという龍の成長になぞらえて、栄枯盛衰の変遷過程を教えてくれる。個人、企業、社会、国家など、あらゆる物語に通じる原理原則として当てはめることができる一例。リーダーとしていかに成長すべきかも同時に学ぶことができるため、昔から帝王学の中心として熱心に学ばれてきたのが、この龍の話。

  • 第1段階「潜龍(せんりゅう)」:社員/不遇の時代。志を抱く。登用・起用してはダメ。動かずじっーと待つ。
  • 第2段階「見龍(けんりゅう)」:係長・課長時代。基と型を作る。見る力・洞察力を養う。
  • 第3段階「乾恕煤(けんてき)」:部長時代。自らを省みる。反省。独創性の創出。
  • 第4段階「躍龍(やくりゅう)」:役員時代。飛躍を試みる。いつでも飛び立てるスタンス。機微を察する努力。
  • 第5段階「飛龍(ひりゅう)」:社長・会長時代。おごり高ぶらず全てから学ぶ姿勢。諫言を受け入れる。陰を生み出す。
  • 第6段階「亢龍(こうりゅう)」:相談役/成功を経て転落していく時代。引き際の美学。また訪れる春への備え。滋養の冬。

(参考2) 「死生観の極み」 宗教学者 岸本英夫 元東大名誉教授

ふつうの別れの時には、人間は色々と準備をする。心の準備をしているから、別れの悲しみに耐えてゆける。もっと本格的な別れである死なのに、なるべく死ないもののように考えようとするため、人間はかえってあまり準備をしていないのではないか。死のような大きな別れに耐えるには・・・・、思い切って死の準備をしたらどうか。
そのためには、今の生活が明日も明後日もできるのだと考えずに、芝居を見る時も、碁を打つときも、仕事をするときも、今が最後かもしれないという心構えを終始もっているようにすることである。それが、だんだん積み重なってくると、心に準備ができ、その準備が十分できれば死がやってきても、「ぷっつりと執着なく」切れていくことができるのではないか。こう考えるようになってからは、死を面と向かって眺めてみることが多少できるようになり、むしろ親しみやすいもの、出会いうるものとして死をとらえることができるようになった。
この「死は別れのとき」という考えに至ったことで、広く他人とのつながりの中で死を見つめることができるようになった。または、まもなく死ぬかもしれない自分を周囲の人々との結びつきの中へ、解き放つことができるようになった。「死が別れのとき」なら、「生は出会いの場」、この出会いをこれまで以上に大切にするようになった。
生と死とは、ちょうど光と闇との関係にある。物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するものではない。光がないというだけのことで、それが暗闇。人間にとって光に等しいのは生命。その生命のないところを暗闇「死」として感じている。だから、死というものは実体ではない。人間にとって、真に「ある」といえるものは生のみで、「死は生の影」のようなものである。
従って、人間が真に心を向けるべきはこの今、現に与えられている命であり生活である。この与えられた人生をどう「よく生きるか」ということにある。「よく生きる」とは、「理想に向かって自分の一切を捧げつくす」こと。

(晩年の悟り: 「がむしゃらに働く」から「人生を静かに味わう」へ)

以前は、死んだらどうなるかという恐怖をごまかすために無性にがむしゃらに働いてきた。ただ、がむしゃらに働くことが、人生を充実させる所以とは限らない。静かに人生を味わっていく、この味わい方のほうが、ことによるともっと人生を本当に生きる所以かもしれない。死も今はそれほど怖くない。もう少し、静かに人生を味わって暮らしていく方が、本当の人生ではないかと考えるようになった。

(参考3) いと高き者の子守歌

大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった
偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことができるようにと病気をたまわった
幸せになろうとして富を求めたが、賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった
人生を楽しもうとたくさんのものを求めたのに、むしろ人生をあじわうようにとシンプルな生活を与えられた
求めたものはひとつとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられていた
私はあらゆるなかで最も豊かに祝福されていたのだ

(参考4) 大徳寺大仙院 尾関宗園 住職

「気は長く、心は丸く、腹立てず、人間の度量は大きく、それでいて自己主張は小さく控えめに」