大企業病とは

大企業病に至る流れ

大企業病」を検索すると色々な言葉が出てくるが、最終結末である倒産・買収から逆をたどり衰退への大まかな流れを見ると、検索された用語の殆どはその流れの中に納まる。大企業病へのターニングポイントは、成功を収め業界で優位な地位を一定期間維持した企業が、攻めから守りへ舵を切り、変革をないがしろにし始めた頃。大企業病とは、それ以降の様々な宿命的弊害-企業の末期症状や老化現象の総称。あるいは、経営陣、社員、組織が、大企業病を生む社風の中で複雑に絡み合い、「危機意識の低下・うぬぼれ」、「保身・閉鎖性」、「無責任構造」という3つの潤滑油が、患者を衰退へと円滑に進める巧妙なトリック。

倒産・買収←不祥事発覚・業績悪化←悪い情報が伝わらない・変化に対応できない←組織複雑化・セクショナリズム←攻めから守り&競争から協調体制へ・視線が顧客から上司へ←うぬぼれ・危機意識の低下←安定期←成功・既得権益で保護

3つの潤滑油

1) 危機意識の低下・うぬぼれ

成功を収め業界で優位な地位を一定期間維持すると、競争に負けたり、環境の変化に対応できず衰退するなどありえないという気持ちが芽生え、無意識のうちに危機意識が低下し、おごり高ぶるようになる。この「気の緩み」が大企業病の初期症状で、公益事業や金融機関など独占的、排他的企業に多くみられ、超大企業や老舗も含まれる。その背景にあるのは、親方日の丸的思想や歪んだエリート意識。

2) 保身・閉鎖性

怒られる、昇進に響くなどの理由で、悪い情報ほど上層部に届かず、判明したときは手遅れというケース。どこの会社にも社内でささやかれている悪い噂はあるはずだが、エリート意識が高い社員ほど「聞かなかったことにする」か「握りつぶすか」のどちらかを選択。例えば不良債権問題、その深刻さをうすうす感じながらも、「行内に大きな波風を立ててサラリーマン人生を棒に振るようなことはできない」という保身、「どうせ自分には関係ない」という閉鎖性。

極めつけは、大企業ならではのVIPサービス。かなりの大企業が、経営トップ宛のメールを秘書室長など事務局が事前チェックしているようで、実際に事務局が内部情報をどのくらい握りつぶしているか分からないが、これだとトップは「裸の王様」。加えて、部下が全てを詰めてから役員に出御を要請する営業スタイルなど、経営陣が現状認識を見誤りやすい土壌が完成。

3) 無責任構造

企業規模が拡大し安定期に入ると、人事評価では結果より「器の大きさ」や「人望」など、大企業の組織防衛に有効な「人間性」が重視。上司も部下から恨まれぬよう神経を使い、業績が悪くても数字に表れない定性面でカバー。業績の概念も明確でない場合があり、「小さなミスには厳しく大きな失敗には寛大」という結果になりがち。例えば店頭では小さな現金ミスでも支店長以下ボーナスカットなどきっちり責任を取らされるが、融資部門では融資が焦げ付いて大損害をこうむっても、後々の出世競争で不利となるものの、結局誰も責任をとらない。そこには、店頭は「円滑かつ正確に現金処理をする」という明確な業績目標がある一方、貸出業務は取引先拡大という目標があっても融資が焦げ付いた場合の評価法が実質ないという問題がある。

  • [中期: 組織の複雑化=連帯責任]

風通しのよい役員会でも、社内でささやかれている悪い噂(たいていは複雑・専門すぎてブラックボックス化)や決算関連など数値の多い議題になると皆沈黙。担当外の役員にとっては初めて目にする資料が多く、専門的すぎて質問する材料がないうえ、担当役員への遠慮も働く。数年後、当時の悪い噂、例えば不良債権が大問題に発展すると、議事録には全員判を押し「連帯責任」になっているため、責任の所在が不明。大企業の会議は結果的に、提案部署がお墨付きを得るための保険になる可能性大。

  • [末期: 責任者の無自覚]

責任の所在が明確だが、当人が自覚していない末期症状。雪印の石川社長が食中毒事件の直後、マスコミのワナに引っかかり口走った「僕は寝ていないんだよ」や、外務官僚の本能的寝返り-鈴木宗男「恫喝」関連の秘密資料をマスコミにリーク。根底には「悪いのは自分ではない」という潜在意識。